横山家

千住宿の北のはずれに、江戸時代に建てられた商家で、伝馬屋敷の面影を今に伝えています。

「浅草紙」(トイレットペーパー)として梅田や本木の農家から漉き返しの再生紙を買い入れ、日本橋方面へ売りさばいていました。

明治維新の上野戦争の折には、彰義隊士によって、街道近くの柱に刀傷をつけられました。太平洋戦争でも火災を免れ、今に残っています。