荒川河川敷き(千住新橋南側)

千住新橋南側の河川敷は江戸時代、千住宿の北端に位置し日光街道が梅島、草加へ向かっていました。沿道には“爺が茶屋”と云う茶店がありました。

徳川吉宗がこの茶屋に立ち寄りピカピカに光る茶釜をたいそう褒め“名をのこす爺の茶釜やてるかがみ”と短冊を送りました。一気に江戸の評判となったのが写真の「光茶釜」です。

明治26年、茶釜橋~越谷間に馬車鉄道が開設されました。その後越谷~粕壁間が開業されました。軌間750㎜の線路の上を車両1両、馬1頭でけん引しました。

東武鉄道が明治32年開通すると乗客が減り明治33年に廃線となりました。

新橋下 日光街道北西へ延びる

 

爺が茶屋の光茶釜