名倉医院

名倉と言えば骨接ぎの代名詞として「千住の名倉」は、全国に知られています。

名倉家は、名倉重直(1668年から1712年)が千住に移り住み、その4代後の名倉弥次兵衛直賢(1750年から1828年)が、骨接ぎを始めました。

有名になったのは、7代目の弥一の頃からと言われ、最盛期の大正時代には1日の患者が300人から500人おり、夜が明けると旧道は骨折や脱臼の患者が戸板や籠の行列で埋まったと言われています。明治7年(1874年)、同16年に「医制」が制定された後も家業の伝統を受け継ぎ、整形外科医院として今も続いています。