学びピア

千住は松尾芭蕉が「おくのほそみち道」に旅立った地。それにふさわしい芭蕉像が、学びピア1階のロビーにある。芭蕉の生まれ故郷の伊賀焼で、400㎏近くもある立派なものだ。

実はこの芭蕉像、全く同じものが伊賀上野にある。地元出身の政治家・川崎克の主導で、芭蕉生誕300年の昭和17年に記念堂・俳聖殿とともに製作され、その中に安置されている。足立区にあるのは2体作られた片方で、縁あって川崎家の関係者から寄贈された。

俳聖殿は芭蕉の旅姿を表現した独創的な木造建築物で、10月に国の重要文化財指定が決定。それを知ったNPO千住文化普及会理事長の櫟原(いちはら)文夫さんが、千住の芭蕉像の「さや堂」建設を呼びかけようと立ち上がった。

「片や重文のお堂に大切に納められ、片やロビーの隅に黄色いプラスチックの鎖で仕切られて置かれている。旅立ちの地が、こんなことでいいのかと」。櫟原さんは各地の芭蕉関係者との交流の中で、何度も歯がゆい思いをしてきたという。

旅が安全でなかった当時、芭蕉の旅は死を覚悟してのもの。深川の庵を処分し、舟で千住に上陸、「矢立初の句」を詠んで旅立った。一説では千住宿に逗留し、弟子たちと別れの時を過ごしたと言われる。「海外にも名が知られていて、おくのほそ道を巡る人が必ず立ち寄る旅立ちの地が、結びの地・大垣の活動に比べて、あまりに貧弱」と櫟原さんは嘆く。「さや堂を機に、地域の誇りになるように、世界にアピールできる千住を検証していければ」

櫟原さんの案は、矢立の碑のある橋戸町公園に、公衆トイレの改築と合わせてさや堂を建てるというもの。芭蕉が上陸した場所でもあり、すぐ横に千住宿のシンボル・歴史ある千住大橋を望む。隣に交番があり不心得者対策も万全だ。全国から芭蕉を訪ねてくる人々の拠点にピッタリという。「 〝芭蕉が旅立った千住〟を、町おこしの起爆剤にしたい」との思いは熱い。

足立の歴史を愛する人たちとともに、これから署名集めなど本格的に活動を始める。